夏木マリがカッコいいのは若い頃の苦労にあり?ハーフではなくてフランス人?!
2017/03/23
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御歳64歳を迎えても、もんのすごいパワフルでカッコいい夏木マリさん。
私は彼女の発する痛快・明快で嘘のない言葉がとても好きです^^
もともとはこのブログの視点から
夏木マリってフランス婚(事実婚)
してたよね
ってところから始まった「夏木マリ」という人への興味だったのですが、
出演番組を片っ端から観たり、インタビューを読み込みまくっているうちに、知れば知るほど魅力的なマリ姐さんに、どっぷりハマってしまいました!
もうね、思わず印象派NEOのチケットをとってしまったよね…(笑)。
今回は「夏木マリ」のカッコよさはどこから来ているのか
を考察していきたいと思います。
【関連】
夏木マリがフランス婚より結婚を選んだ理由とは?事実婚に足りなかったものとは?
夏木マリの結婚相手は斉藤ノヴ!旦那の仕事に惚れて自分から告白?
夏木マリ・基本プロフィール
今回のTOP画像はこちらをお借りしています。
夏木マリ・プロフィール
氏名:夏木マリ(なつき まり)
本名:斉藤淳子(さいとう じゅんこ)旧姓:中島
生年月日:1952年5月2日
年齢:64歳(2017年現在)
出身地:東京都豊島区
所属事務所:夏木マリ自身でセルフマネージメントをしている(個人事務所)
血液型:O型
身長:163cm
体重:50kg
スリーサイズ:B86 W58 H90(cm)
※体重・スリーサイズは中島淳子時代のもの
・高校を出てすぐの19歳のときに「小さな恋」(中島淳子名義)でデビュー。
・芸名を夏木マリと変え「絹の靴下」が大ヒット(1973年/21歳)。
・俳優として数多くの作品で強烈な存在感を発揮。
・プライベートでは2011年5月、59歳の時に音楽プロデューサーでありパーカッショニストの斉藤ノヴ(当時60歳)と結婚。
夏木マリがカッコよく唄ってる姿が見たい方はこちら!
公式HPやWikipediaをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。
夏木マリ先輩の現在の髪型はコチラです。
トップの長いツーブロックで、下ろすとショートボブにも見える髪型がここ最近の定番となっています。
金髪でファンキーな髪型に見えるんだけど、実はアレンジ次第でかなり印象を変えることができるんですね。
パイナップル風(笑)。
オールバック。
長い部分を下ろして優しい印象に。
トーク番組仕様はこのスタイルが多いですかね。
夏木マリという人は髪型や洋服にもこだわりがあります。
「人生一度きりなんだから、洋服もヘアスタイルも楽しみたいの」
(出典)ウーマンエキサイト
輝き続ける女性の髪、そして人生 「髪はその人を語る言語」
管理人の最終アクセス:2017.3.10
・・・なんて発言は、
実に夏木マリらしい感じ^^
上記インタビューでは服装や髪型だけでなく、人生や役作り、日常の美容法なんかも話していたので、ご興味がある方はご覧ください。
夏木マリの若い頃の画像
参考までに、若い頃はこんなかんじ。
やっぱりどう見ても美人ですね^^
※画像クリックでCD詳細が見られます(楽天)。
西洋風の顔立ちから、
「夏木マリってハーフ?」
って疑問がある方もいますよね。
で、夏木マリって
ハーフなの?!
ハーフではない、が、しかし!
マリ姐さんのご両親はふたりとも日本人で、ハーフではありません。
しかし!
NHKのファミリーヒストリーで観たところによると、
夏木マリの母・和子の祖母にあたる、
「佐々木るん」(夏木マリから見ての曾祖母)さんが、
「フランス人だと聞いた」
と証言する人が出てきたんですよ!
るんさんは八丈島出身。
八丈島で「佐々木るん」の戸籍を辿ってみたところ、戦争の爆撃で焼失してしまっており、実の真相はわかりません・・・。
ですが!
八丈島は周囲の潮の流れが早く、
・江戸時代には船で流れ着いた外国人が多く住みついていた
ということ、
そして
・島の人達も外から来た人を大事にする習慣があった
ということから、
外国人と八丈島の女性の間に子どもが生まれたりしたこともあっただろう
ということがわかったんです!
名付けて、
「夏木マリのひいひいじいちゃん、フランス人」説!(笑)
(そのままかよ!)
おばあちゃんがフランス人と言ってたご親類の方の発言は気になるんだけども。
もうひとり上の代の方(るんさんの父や母のどちらか)がフランス人で、るんさんがハーフだった?
とか、だろうか。
ちなみに、るんさんは本土に渡ったのちに京都に住んでいて、
「色白で小顔でキレイなおばあさんだった」
「目の色は黒目と青い目の間という感じ。夏木マリの顔に似ている」
と話す人が現れているんですね。
高まる、
夏木マリ、フランスルーツ説!
↑名前変わったw
しかも、結婚相手の斉藤ノブさんは京都府ご出身。
そんな”ご縁”にマリ姐さんは「ゾクゾクする」と言っています。
自身が関わるものをフランス語で名付けるマリ姐さんのフランスルーツ説と、夫・ノブさんの京都・・・。
は~、やっぱり”ご縁”ってあるかもしれないですよね。
ちなみに”つるとんたん”の
経営者なの?
経営者ではありません。
六本木のつるとんたんがオープンした頃、「夏木マリのお店」と言われていたことがあったんですよね~。
私も当時、先輩に「夏木マリの店らしいけど・・・」って話を聞いた記憶があります。
これについては、BGMの選曲などを手伝ってあげただけで、マリ姐さんご本人の口から「私のお店じゃない」と明言されています。
私が好きなのはここからの話なんだぜ(笑)。
夏木マリにも
下積み時代があった!
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巷で見かける「夏木マリ」の略歴やプロフィールでは、よくすっぽ抜けてる部分があるんですよね。
それは「絹の靴下」がヒットしたあとの、俗に言う下積み時代。
その時期何をしていたかなんてことは、実績を並べるプロフィールには不要になってしまう部分なので、あまり語られることがありません。
先日放送された「サワコの朝」を観て、
夏木マリにも「売れない時代」というものがあった、というのを初めて知って、驚きました。
キャバレー回りを8年!
「絹の靴下」大ヒットのおかげで人気を博したものの、今度は多忙すぎて病気になってしまい、あえなく休業することに。
※Wikipediaによると低色素性貧血とのこと。
体力の回復ののち復帰してみたら仕事がなかった!
Σ(゚д゚lll)ガーン
その後、なんと約8年もの間、キャバレーを回って営業をしていたそうです。
「中島淳子」でデビューしてから「夏木マリ」に改名するまでの売れなかった時期もキャバレー回りをしていたので、合わせるて約10年くらいあるのではないかと思います。
それでも「やめようとは思わなかった」。
これについて
「やりたいと思ったことは絶対やりたい」とか、
意地を通そうと思った気持ちがあったんじゃないか、と振り返っているのですが、
この時から根性座ってたんだな~って感心します。
(参考・出典)
Rolling Stone JAPAN
夏木マリが語る、時代に媚びない哲学:「やりたいと思ったことは絶対やりたい」
20代の頃は意見を伝えるのも上手くなかった
今では物事を的確にズバっと相手に伝えられるイメージのある夏木マリさんですが、
実はこのキャバレー回りをしていた20代の頃は、
「自分の意見を人に伝えるのも上手くなかった」と話しています。
私はこれが意外だったというか、
「マリ姐さんでもそんな時代があったのね」
と少し親近感が湧いてしまいました^^
今できないことも努力を重ねていけば、いつかマリ姐さんのようなカッコいい女になれますかね?(笑)
日劇ミュージックホールでの経験
キャバレー回りを続けながら30歳を迎える頃、ついに
「こんな生活は20代でやめたい」
と申し出たことによって、結果的に事務所をやめます。
事務所をやめてから少したった頃、日劇ミュージックホールに声をかけてもらって、2ヶ月ほど出演することに。
このときのショーダンサーのひたむきさとプロ根性に感化されて、ヤケクソでやってたキャバレー回りを反省し、歌と踊りの稽古に励むようになったそうです。
そして、この日劇ミュージックホールでの姿を見た演出家から声をかけられたことによって、芝居の世界へ足を踏み入れることになります。
芝居に苦しんだ30代
演劇などなにも知らないところから始めたお芝居は挫折感の連続。
しかし、声がかかればやってみるというスタンスで、小劇団、新劇、海外の演出家、歌舞伎もののミュージカル、スズキメソッド、海外のワークショップなど、
全然ちがうタイプの演劇に良い順番で関わってこれたこと、その順番が良かった、ってことも話していました。
そうやって続けてきた演劇のお仕事にも転機が来ます。
いろんな演出家の数々の舞台に出演しているうちに、
「芝居というものが混沌としてきた」
らしいんですよ。
※たぶん色んなメソッドを受け取りすぎてわからなくなってしまった、ということかと解釈してます。
それとともに、ある時、人間関係がめんどくさくなってしまって、
「”集団”から離れたい」
「ひとりになりたい」
と思うようになったことから高まっていって、英語もできないのにNY行きを決めちゃったそうなんですね。
やると決めたらとにかく動く!ってとこが「夏木マリ」だな~ってとこに感心します。
38歳で単身ニューヨークへ
NYに渡ってからは、チャンスが有ればブロードウェイの舞台へ立ちたい!と、毎日プロデューサーに自分からアポを取って食事に出かけていたそうです。
めちゃくちゃ攻めの姿勢ですよね(笑)。
このあたり主に「サワコの朝」でのトークからの話だったんですが、
このとき阿川佐和子さんも
「果敢ですなぁ…」
と感嘆の声をあげていました。
結局、それでも役はとれなかったのですが、
「自分でドアを叩くことができるようになったのが収穫だった」
と振り返っています。
どんなとこにも飛び込んでいっちゃう行動力。
怖気づかないその度胸。
欲しい!!!(笑)
(がんばろう…)
こうして得ていった沢山の経験から、一人舞台をやってみようかと思うようになって、印象派の立ち上げへと繋がってきたそうです。
自分で創りあげた舞台「印象派」
誰もやっていない表現を求めて自分で創りあげた舞台「印象派」。
(1993年/41歳~)
印象派というのは劇団の名前ではなく、パフォーマンスに名付けた名前で、
「今までに見たことない舞台を創りたかった」
と、セリフに頼らない身体表現を始められたそうです。
93年からなので、現在で24年目!
そしてこの舞台では自分が主催者となって、創って演じ、お金集めもしてるとのこと!
だから2月はテレビ出演が多かったんですね(笑)。
※印象派NEOは3/9~公演
※印象派の公式HPリンクを貼ると、なぜか当サイトの表示が崩れるという現象が起きるので、気になる方はお手数ですが検索からご覧ください。
年齢なんて記号!
夏木マリというひとは
歳なんて記号みたいなもの
ってことをよく言ってるんですが、
それをまさに地で行っているというか、
アラフォーもアラフィフもアラ還も
ま~ったく関係なく、
新しいことをやってるのがわかる表を作ってみました。
ちなみにマリ姐さんは、60歳のことをよく
「ロクマル」と言っています。
渡米してからの大きな活動があった年(Wikipediaより)をざっと抜きだして年齢計算をしてみたので、ちょっと見てみてください。
1990 単身ニューヨークへ 38
1993 印象派立ち上げ 41
1995 小西康陽のプロデュースの
ミニアルバムリリース 43
2006 GIBIER du MARIE結成 54
2007 斉藤ノブとフランス婚 55
2009 MNT立ち上げ 57
(※マリナツキテロワール)
2010 支援活動One of Love開始 58
2011 斉藤ノブと結婚 59
2015 ライブハウスツアー 62
2016 and ROSEs結成 63
どうでしょう、この年齢をものともしないアクティブっぷり!
ちなみに、一般的な知名度の高い作品だと、
千と千尋の神隠しで湯婆婆の声優をやってた頃で49歳(2001年)。
ピンポンのオババは50歳でやってるんですよ(2002年)。
「やりたいことは絶対やりたい!」と年齢なんて壁にも感じずに前に進む姿は、
女性としても人としても参考にしたい部分です。
そんなアグレッシブな夏木マリさんが大好きです。
まとめ
・夏木マリはハーフではないが、フランス人の血を引く可能性あり。
・つるとんたんの経営者ではない
・実は10年近くもキャバレー回りをしていた下積み時代がある
・いくつになっても「やりたいことは絶対やりたい」は揺るがない
今回は夏木マリの「カッコいい」の源にある、普段語られていない部分をまとめてみました。
これはまだあまり有名になってきていないのが残念なのですが、
夏木マリさんは旦那さんの斉藤ノヴさんとともに主催者となって、「One of Love」プロジェクトというチャリティ活動もされています。
こちらはその活動から生まれた曲なので良かったら聴いてみてください。
●夏木マリの結婚にまつわる話はこちら●
夏木マリがフランス婚より結婚を選んだ理由とは?事実婚に足りなかったものとは?
夏木マリの結婚相手は斉藤ノヴ!旦那の仕事に惚れて自分から告白?
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